60式自走106mm無反動砲試作車の火力はどの程度だったのか
富士学校で射撃試験を行うSS-1(奥)SS-2(手前)
60式自走106mm無反動砲はその試作過程で砲の命中率に悩まされ続け、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」という具合に四連装型まで試作されました。しかし火力面ではどうだったのか、今回改めて考察したいと思います。
60式自走106mm無反動砲の試作車まとめ - Togetter
↑こちらのまとめを参照してからの閲覧を推奨します。
M27ベースの日本製鋼所製105mm無反動砲
試作無反動砲を四連装で搭載したSS-1(改)
日本製鋼所がM27 105mm無反動砲をベースに試作したものです。SS-1・SS-2・SS-3・SS-1(改)が搭載していました。
M27は初速が381m/sと低く、300mを超えると急激に命中率が悪化しました。これは日本製鋼所製の105mm無反動砲も同様で、60式試作車は対戦車車両としては確実性に欠け、一時は開発が凍結されそうになったほどです。
M40 106mm無反動砲
砲換装後のSS-3以降の試作車に搭載され、量産車にも60式106mm無反動砲としてライセンス生産したものが搭載されました。ちなみに実口径は105mmですがM27との混同を防ぐために106mmと表記されます。
初速が502.9m/sと大幅に向上し、命中率もM27の倍以上の性能を獲得しました。
両無反動砲の見分け方
M40はM27より薬室が短く徳利状になっているのが特徴です。
ここからが本題です。無反動砲は構造上初速が低くなるため運動エネルギー弾では貫徹力が期待できません。そのため対戦車戦闘では基本的に成形炸薬弾(HEAT)と粘着榴弾(HESH)が使われます。試作無反動砲のベースとなったM27も同様にM324HEAT弾とM326HESH弾を運用していました。まずM324HEAT弾ですが、ライリング式のためかなんと最大貫徹力が127mm(5inch)しかありません。
HEATは距離によって貫徹力が変わらないという利点がありますが、いくらなんでも低すぎますよね。後継として翼安定式のM341HEAT弾が開発されており、そちらは最大貫徹力が381mmと大きく向上しています。ただし恐らく自衛隊ではM324HEAT弾に基づいた弾を使っていたと思われるので、試作段階の60式試作車のHEAT弾は127mmしか抜けなかったはずです…
続いてM326HESH弾ですが、こちらも最大貫徹力は127mm(5inch)です。
まさかの成形炸薬弾と同じ貫徹力を誇る粘着榴弾です。こちらも当時用いられていたかはわかりませんが、制式採用された60式がHESHを運用しているのを見るに、試験で用いられた可能性は高いでしょう。
上富良野で射撃試験を行うSS-3。砲弾ケースと薬莢が積み上げられている。
ちなみにM40になると最大貫徹力はM344HEAT弾、M346HESH弾がそれぞれ381mm(15inch)、127mm(5inch)となります。
HESHは変わらないですがHEATは翼安定式のHEATFSになり3倍近い性能向上を果たしました。これらは60式106mm無反動砲の採用と共にM344が64式対戦車榴弾、M346が68式曳光粘着榴弾として採用されています。
結論としては、成形炸薬弾は127mm、粘着榴弾は127mmが60式自走砲試作車の最大貫徹力でした。M40の登場は命中率だけでなく、火力面でも救世主だったわけですね。
次回の記事もお楽しみに!ではまた!
参考資料
TR_redirect – Defense Technical Information Center
department of the army technical manual artillery ammunition
armament for future tanks or similar combat vehicles.(?)実は砲性能表の出典がわからなくなってしまいました…上記のタイトルだったと思うのですが出てきません。知っている方いましたらコメントで教えて頂きたいです…
自衛隊の米軍供与車両一覧[装甲車・装輪車・牽引車]
戦車・装甲車編はこちら
自衛隊の米軍供与車両一覧[戦車・自走砲] - 三式トニーの試作車両雑記
装甲車
- M3
第二次世界大戦の代表的なハーフトラックです。警察予備隊時代に供与され、1981年に退役しました。本車の装甲には希少なニッケルが含まれており、日本人技術者達は本当に兵員輸送目的で作られた車両なのかと驚いたそうです。
- M39
M18対戦車自走砲の砲塔を外し兵員輸送や牽引に用いるために小改造した装甲車です。しかし出入りが容易ではなくフロントトランスミッションとリアエンジンに挟まれる構造のため兵員室が窮屈で評判は良くなかったようです。正直warthunder的にはM4よりM18を供与してくれた方が嬉しかったのですが…やっぱり在庫が無かったのかな?
- M59
M59(右)と並ぶのは小松製試作81mm自走迫撃砲SV(中)と三菱製試作107mm自走迫撃砲SX(左)
1954年に完成した最新の装甲車であり、参考のために貸与された1両は当時開発中だった試作装甲車SUに大きな影響を与えました。特に後部昇降扉は競作していた三菱・小松共にM59と同様の油圧駆動式のランプドアを採用するほどでした。
小松製SU-Ⅰ
三菱製SU-Ⅱ
- LVT(A)-5
どのカテゴリーに入るか分からなかったので装甲車にしときます
75mm砲塔を搭載した水陸両用トラクターです。水陸両用機構の参考として供与されました。
装輪車
- M8
37mm砲塔を持つ6輪装甲車です。警察予備隊時代に大規模配備が予定されましたが、朝鮮戦争の戦訓から少数の供与に留まりました。装輪車の長所は路上における高い機動性ですが、当時の日本の道路事情は最悪な状態であったために活躍する場はほとんど無かったそうです。
- M20
M8から砲塔を外し、代わりにリングマウント式の12.7mm機銃が備えられた兵員輸送型です。M8と同様に少数の供与に終わり、活躍する機会もほとんどありませんでした。話がずれますが映画ダイ・ハードに出てきたSWATの装甲車はM20ではなく砲塔を外したM8らしいです。
牽引車
- M32
路外転落事故を起こした試作自走無反動砲SS-2を引き揚げるM32
M4戦車をベースにした戦車回収車です。供与されたM4が全てM4A3E8だったのに対し、M32はM4A1ベースを中心にバリエーションがいくつかあったそうです。
- M4
M3軽戦車のパーツを使った18tトラクターです。貴重な重砲牽引トラクターとして期待されましたが、登坂能力が17°と不満が残る性能でした。
- M5
13tトラクターです。M4トラクターより馬力があり、登坂能力も36°と向上したためM4より扱いやすく好まれました。
- M8
M41軽戦車をベースにした25tトラクターです。基本的に75mmM51高射砲の牽引に使われていましたが、60年代からはM4、M5トラクターとM51高射砲が老朽化による退役予定となったため特科に移され重砲も牽引しました。しかし重砲牽引時に不整地でスタックすることもあったようです。
抜けているものがあったらコメントください。
次回の記事もお楽しみに!ではまた!
自衛隊の米軍供与車両一覧[戦車・自走砲]
自衛隊の米軍供与車両をまとめたのって意外となかった(あったらすいません教えてください)のでまとめました
装甲車・装輪車・牽引車編はこちら
自衛隊の米軍供与車両一覧[装甲車・装輪車・牽引車] - 三式トニーの試作車両雑記
戦車
富士におけるSTA-1とM4。STA-1の低車高な構造が分かる
本格的な軍備が始まった自衛隊に機甲戦力の主力として配備されました。しかし車高の高さが待ち伏せを多様する自衛隊のドクトリンに合致しないことや、当時の平均身長が160cm前半と小柄だった日本人には大柄すぎる車内装備が合わなかったりと評価はあまり良くなかったようです。
- M24チャーフィー
実は1952年という早い時期から供与された自衛隊(当時保安隊)初の"特車"です。小柄で軽量なためM4よりもこちらのほうが扱いやすく、乗員からも親しまれたようです。
- M41ウォーカー・ブルドッグ
M24の後継となる軽戦車です。供与戦車の中でも最も長い1983年まで運用されましたが、なぜか国内の現存車両は確認できません…
- M47パットン
自衛隊の主力戦車として大量供与も検討されていましたが、同時期に西ドイツへの大量供与があったため在庫がなくなり、自衛隊は国産戦車を開発することになりました。その際参考用として1両が供与されました。
自走砲
- M36ジャクソン
試製中特車STのモックアップと砲塔を外されたM36
61式戦車開発の参考として1両が供与されました。90mm戦車砲の運用経験が無かった日本では、反動エネルギーがどの程度か分からず車体設計に苦戦していたところ、供与されたM36による射撃試験でデータを収集し、61式戦車への90mm戦車砲搭載のノウハウを得られたようです。
- M37
茅ヶ崎海岸でM24との砂上走行比較試験を行うM37
試製56式105mm自走砲SYの開発の参考に供与されました。ただ供与されたのは1959年1月とSYの技術試験も終わろうとしていた時期であり、競争・比較試験に使われる程度に留まりました。
- M44
M41をベースにした155mm自走榴弾砲です。自走砲を持っていなかった自衛隊は北海道での運用研究を目的に10両が有償で供与されました。
- M52
同じくM41をベースにした105mm自走榴弾砲です。M44と同様に30両が有償供与されました。密閉型の戦闘室は国産自走砲の開発に大きな影響を与え、誕生した74式自走105mm榴弾砲・75式自走155mm榴弾砲と入れ替わるように退役しました。
- M15
神宮外苑のパレードに参加するM15
M3ハーフトラックに37mm機関砲1門と12.7mm機銃2門を搭載した対空車両です。供与された車両は使い込まれた車両も多く、1両ごとにどのように使用されたかを推測しながら整備をする羽目になったそうです。
- M16
こちらは12.7mm機銃を4門搭載しています。対空能力はあまり期待されず、元のM3ハーフトラックのように輸送車として用いられることもあったようです。
- M19
M24をベースにした40mm自走対空砲ですが、後述するM42の存在もあって扱いは良くなかったようです。
こちらはM41をベースにしています。早めに退役したM19と違い、1994年まで現役でした。これは87式自走高射機関砲の登場まで戦車に随伴できる唯一の自走対空砲であったことや、87式を配備するため、「装備の更新」という名目で予算確保のために維持されていたためだとか。余談ですが、退役したM42の砲塔を61式戦車や60式・73式装甲車に搭載し再利用してはどうかという声もあったようですが実現はしなかったようです。実現してたら逆64式軽戦車になってたかも
次は装甲車・装輪車編です。ではまた!
化学偵察車SC/化学防護車(装軌)
82式指揮通信車をベースに開発された化学防護車はよく知られていますが、実は60式装甲車をベースにした装軌式の化学防護車も存在しました。
化学偵察車(SC)
NBC兵器に対する防護装置を持たない60式装甲車をベースにしたため、主に扉部分などの密閉度を高め、車体機銃を撤去しNBCフィルターを装備したことで汚染環境での行動が可能になりました。汚染写真では見えませんが後部には検体採取用のマニピュレーターも装備されました。1969年に試作され、略記号「SC」は化学兵器を意味するCBRからとられています。
略記号に関する詳細はこちらhttps://type3tony.hatenablog.com/entry/2021/12/04/234057
SCの試験結果を受けて1974年に制式化されたのが化学防護車(装軌)です。
化学防護車(装軌)
ベース車から密閉性が上げられ覗き窓が付けられた右扉がポイントです。また左扉に備えられたマニピュレーターから、後継にあたる化学防護車(装輪)への系譜が感じられます。放射能測定器や大気測定用のガス・サンプラーも装備されており、外気をその場で分析することが可能だったようです。しかしマニピュレーターは動作が遅く、検体採取に時間が掛かるなど評判はよくありませんでした。
制式化はされたものの、大宮駐屯地の中央特殊武器防護隊に数両が配備される程度と試験的な採用に留まり、大規模なNBC偵察車両の配備は後継にあたる化学防護車(装輪)までありませんでした。
次回の記事もお楽しみに!ではまた!
60式SPRGを使ったミサイル駆逐戦車
64式対戦車誘導弾は、強力な砲を積まずとも敵戦車を撃破できる期待の新兵器として、ジープなどの軽車両に搭載されました。さらに60式自走無反動砲に搭載し、ミサイル駆逐戦車として運用することが1964年に企画され、2種類のタイプが試作されました。
1種類目はスタンダードに正面に2つのミサイル発射器を備えたものです。
1964年に60式試作車SS-4を改造したもので、106mm無反動砲を撤去し左右両袖部にミサイル発射器が設置されています。発射器の支持軸を見るに、走行中など発射時以外はある程度車体側に格納できるように見えます。
2種類目は前後にミサイル発射器を備え、対地警戒レーダーAN/PPS-4を搭載した偵察駆逐戦車と呼べる代物です。
AN/PPS-4対地警戒レーダー
こちらもSS-4を改造したもののようです。3両試作された内の別車両か、前述したスタンダードタイプをさらに改造したものでしょうか。
しかし、両車に共通する問題として64式対戦車誘導弾は弾速が非常に遅く命中までに時間がかかるため(73式小型トラックと比較してか)わざわざ隠蔽性に欠ける60式自走無反動砲を使う必要はないという理由で不採用に終わったようです。
ドイツがKJPz.4-5をミサイル駆逐戦車を改造したように、日本でも対戦車自走砲をミサイル駆逐戦車に改造する計画があったのです。
次回の記事もお楽しみに!ではまた!